ショビ書房のホリディ

マンガ・仏像彫り日記・℃-ute・ハロプロなどについて書いています。

壊したくないものと、壊さないとわからないもの

縁あって、とある邸宅の柱と庭の木をいただけることになりました。
いただいた木はこれから少しずつ仏像の材になります。
 
柱を貰いに行くと庭にはブルドーザーが入っていました。
まだ家の中は大丈夫、ということで玄関を入りますが中はすでに瓦礫と砂埃だらけです。
靴を履いたままお邪魔しました。
 

 

まだ家の中にまでブルドーザーは入らない、と言っても窓の外(といっても、窓は既に取り除かれているのですが)では瓦礫が降り注いでいます。
瓦礫の雨に急き立てられるようにバッグからノコギリを取り出して、階段の柱を切り始めました。
 
 
こんなに立派で歴史のあるお屋敷は文化保存のために残しておいた方がいい、とつねづね思っていた自分が真っ先に家にノコギリを入れているというのも皮肉な話です。
私が一所懸命柱を切っている様子を、家主のTさんはニコニコと笑顔で見ていました。
 
あらかた欲しい材を手に入れ、汗ばんだ体で二階の書斎へ出ると気持ちいい風が入ってきます。
大きい窓が取り外され吹き抜けになった書斎の外では庭の木がバリバリバリと鳴りながら目の前でゆっくり倒れていきました。
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覚えたてのパノラマモード(↓この記事に書きました)

iPhoneのカメラモードが多岐にわたっていてめちゃすごいことを今更知る。 - ショビ書房のホリディ

 で早速庭の景色を撮ってみたんですが、両端がグニャグニャですね・・笑

 
「こうして見ると思ったより狭くて寂しいもんだね」
と隣の人が庭を眺めながら言いました。
空間というのは普通ものが無くなればスッキリして広く感じるものですが、鬱蒼と伸びた庭木たちが無くなると逆に小さく感じるというのは、年老いた父を見る気持ちになんとなく似ている気がします。
 
 
しばらくの間頻繁にお邪魔させて貰ったこの家でしたが、此の期に及んで新たに気づいたことがいくつかありました。
 
例えば和室の謎。
この家は立派な邸宅なのですが、なぜか和室の鴨居がずれて取り付けられていました。これは建築のセオリーとしてはあり得ないしつらえだそうです。
未だに設計者が誰か判明しない中、そのちぐはぐな造りの和室をもって「おそらくあまり高名でない建築家の作であろう」という推察がされていたのですが、再利用出来そうな建具を探して和室の押入れを開けた際に偶然鴨居のずれている理由が分かりました。
 
押入れの柱には本来あるべき位置に付いているはずの鴨居の跡が残っていました。
現在の鴨居はどこかのタイミングで改修を行った際にずらして取り付け直した鴨居だったのです。つまり、この家の設計者が取り付けた鴨居ではなく後付けのものだったことが判明しました。
 
結局建築家が誰なのかは分からないままですが、取り壊す段になって、潰えたはずのロマンが蘇るというのは不思議なことですね。
 
和室の謎の他にも気付いたことがありました。
応接室に使われていた飾り棚が立派なケヤキの一枚板だったことや
電源ユニットを繋ぐコードが真鍮製だったこと。
豪華ではないながらも質実剛健な材によってしつらえられたその家を見て
「あらためて、いい家ですねえ」
と、砂ぼこりにまみれた応接室で建築家の方は感嘆の溜息を洩らしました。
 
 
「書斎の窓の柱が切られてる?誰かが持っていったのかな」
「あ、それ・・・・私です」と白状すると
「かなり重さあったでしょう・・・・。勇気あることするなあ」
と呆れられました。
 
確かに窓の柱にノコギリを入れた時、断面を上から潰すような重みがノコギリに伝わり、「これは切ったとしても中々抜けない柱だな」と感じました。
それ一本抜いても家が傾くという程重要な柱ではありませんでしたが、自分の力に不相応なものに手を付けてしまったと思いました。
 
それでも力ずくで窓の柱を切る勢いを私につけさせたのは“匂い”でした。
刃を入れた先からとてもいいヒノキの香りが匂ってくるのです。
もう育つことも枯れることもない、生命活動のないはずの木材なのに
この屋敷の柱となって80年経ってもなおそのヒノキは、その細胞に刃が入るやいなや清冽な香りをまき散らしていました。ちゃんと生きているのです。
 
「8000年かけて育ったヒノキは柱になっても8000年もつ力を蓄えている」
という宮大工が書かれた本の言葉を思い出し、また同時にそれが本当のことであると実感しました。
そんな感動が私に「どうしてもこの柱を取り壊しの前に取り出して、仏としてもう一度生かしたい」と思わせてくれたのでした。なんとか重ねてノコギリを入れて、最後は体当たりまでして、ようやくようやく柱を抜くことができました。
柱が抜けた瞬間、少しだけ視界の広がった窓の外の景色と、汗ばんだ体に当たる涼しい風と、柱の切り口から漂ってくるヒノキの香り。
このことは一生忘れないでしょう。
 
 
永きにわたってそのままの姿で大切に残しておきたい屋敷でしたが
どんなに丁寧に調べたとしても、
壊さないと分からない、気付けない本質があるということを
最後にこの家から教わりました。
木だけじゃなく人でもなんでも、きっとそういうものなのでしょう。
 
家に帰って、いただいた柱の断面に軽く彫刻刀をあててみました。
ギザギザのノコギリ跡からは想像もつかないような艶やかな木目が現れました。
ああ、本当に生きてる!
こういう内側に眠る感動こそ大事にしていきたい、と思いました。